2024年9月21日

ペルソナ4 ザ・ゴールデン

マイベストJRPG。心は今も八十稲羽に。

ペルソナ4』は2008年、アトラスによって開発されたJRPG。その4年後に拡張版である『ペルソナ4 ザ・ゴールデン』が発売。すでに15年近くの歳月が流れた。もはやレトロゲームに片足を突っ込んでいると言っても過言ではないこの作品はしかし、私にJRPGの真髄を教えてくれた思い出深い作品だ。

さすがにダンジョンと戦闘は古さが否めないが、作品の放つ輝きは、いまだ色褪せない。

時代の流れに半歩遅れる鄙びた駅舎、学舎の屋上から眺めた桜、煌々と灯る夏の夜の自販機、雪を喰みながら歩んだ通学路、焼きそば、お祭り、雪だるま・・・。

私の心はカケラがまだ少し、八十稲羽に留まって、そこで過ごした日々が甦る。

『ファイナルファンタジー』にも『ドラゴンクエスト』にも心を動かされず、JRPGが大の苦手だった私がなぜ『ペルソナ4 ザ・ゴールデン』に魅了されたのか。
ストーリー、キャラクター、そしてカレンダーシステムなどの観点から振り返ってみたい。

都会に帰る日が近づいています。友達と思い出を作りましょう。

年を跨いだあたり、ゲーム画面にこのようなメッセージが表示されたとき、私は寂しくなるなと思った。

八十稲羽の人たち、ここで知り合った友人や先生たちと会えなくなる。
もう愛家で肉丼を食べることも、自販機で飲み物を買うこともないのか。
小西君の話をまだちゃんと聞いてやってない、約束したのに。

私の心は呟く。あぁ、帰りたくないな、と。

驚いたことに私は、主人公と一体化し、八十稲羽の人たちとの別れを本気で惜しんでいたのだ。今までゲームでそんな感情を抱くことは一度してなかったのに。
まして敬遠していたJRPG。
ゲーム中のキャラクターに友情を抱き、その土地に愛着を感じるなどということが、本当に自分に起きたことが信じられなかった。

プレイ時間もいつの間にか100時間に達しようとしている。

ゲームシステムの余白にあるもの。

もちろん私も、最初からそのような感情を抱いていたわけではない。

キャラクターと交流を深めることで、対応したコミュのレベルが上昇し、それに対応したペルソナを生成した際に、経験値ボーナスが得られる。
ペルソナシリーズお馴染みのシステム。

当然、私のキャラクターとの交流も、このボーナスを目当てに始まった。
効率的にコミュレベルを上げていくにはどうすればいいだろうかと、色々と考えながらゲームをスタートさせていたのだ。

しかしそんな「効率プレイ」も長くは続かない。
新しい学校のクラスメイトと知り合い、居候先の堂島親子と暮らし、町の小さな商店街の人々と顔見知りになるうちに、私はコミュレベルを無視して一人の転校生として振る舞い始める。

陽介と惣菜大学でビフテキ串を食べたり、
千枝ちゃんのトレーニングに付き合ったり、
天城さんの料理の味見役を引き受けたり。

終盤近く、コミュレベルがマックスに達しても、それは続いた。もちろんそれは、ゲーム攻略にはまったく意味がない。それ以上、ステータスは上がりようがないのだから。

でもそうすることに理由なんか必要なかったのだ。
なぜなら彼らは友達なのだから。

私にとって、『ペルソナ4 ザ・ゴールデン』のコミュレベルやペルソナ合体などのゲームシステムは、ゲームプレイの導線ではあったものの、目的ではなかった。
戦闘に備えてステータスを上げるという、通常のRPGでは当たり前のプレイよりも、自分が一人の人としてどう振る舞うべきかを優先したのだ。

私がJRPGが苦手だったのは、全てがゲームシステムで制御され、作り手が定めた行動をただ、擦らせれているように感じてしまっていたからである。
右に行ってくださいと言われれば、ぜひとも左に行きたくなる性格の私にとって、それが本当に苦痛だった。
しかし『ペルソナ4 ザ・ゴールデン』のゲームシステムには「余白」があり、そこでは自分が自分として振る舞うことを許容されていると感じることができたのだ。

もっとも『ペルソナ4 ザ・ゴールデン』も、メインストーリーはいわゆる「一本道」であり、そこにプレイヤーの介在する余地はあまりない。誰がプレイしてもほとんど違いのないゲーム体験となるだろう。

しかし『ペルソナ4 ザ・ゴールデン』という物語の印象を決定づけるのは、メインストーリーではなく、その傍で展開されるキャラクターとの交流だ。普通にプレイすれば全てのキャラクターと仲良くなることはできないので、八十稲羽での思い出は、プレイヤーごとに異なったものになる。

一緒に行った映画館、海、そしてクリスマス、バレンタインデー。
ある意味、これこそが『ペルソナ4 ザ・ゴールデン』のゲーム体験のコアであり、そこにプレイヤーが自由に描くことのできる余白があったことが『ペルソナ4 ザ・ゴールデン』を特別な作品としている。

余白に咲く愛すべきキャラクターたち。

とはいえ、余白のスペースがただ広がっているだけでは、あまり意味がない。何もやることのない虚しい空間が広がるだけだ。
ペルソナ4 ザ・ゴールデン』のゲームシステムの余白を彩るのは、素晴らしいキャラクターたちである。

そこではメインキャラクターはもちろんのこと、あまり深く関わらないであろうサブキャラクターに至るまでが、血の通った一人の人間として丁寧に描き込まれている。数合わせや、設定のバランスのために用意されているような都合は微塵も感じない。

一介のサブキャラに至るまで惜しみない愛情を注ぎ、魅力的な人物像を作り上げることは、マンガやアニメといった日本製エンターテイメント作品の誇るべき美徳だが、『ペルソナ4 ザ・ゴールデン』でもそれは眩いばかりに輝いている。


ペルソナ4 ザ・ゴールデン』における各キャラクターとのインタラクションは、そのほとんどが会話の選択肢を選ぶだけの簡単な入出力に過ぎない。正直、メカニクスとしては極めて単純なものだ。
にも関わらず、それぞれのキャラクターたちと本当に心を通い合わせたかのような印象を抱くのは、やはりキャラクターの丹念な描写がそうさせているのだろう。

『メタルギアソリッド ピースウォーカー』では、ヒロインの一人であるパス・オルテガと浜辺でデートをするというお遊びミッションがあるが、これも単純なインタラクションでありながら、彼女と本当に心を通わせたような印象を抱かせる。
それはやはり、それまでのストーリーにおいてパスの丁寧な描写があるからこそと言っていい。

ゲームはテクノロジーと伴走して発展していくが、それが直接プレイヤーの心を動かすというわけではない。そこに命を吹き込むのは、微に入り細に入った描写や演出である。
そしてその輝きは時代の流れをもってしても曇らせることができない。

夢描いたとおりではない。
しかし皆、自分の道を見つけて進んでいく。ただ一人を除いて。

そんなキャラクターたちが織りなす物語は、他のJRPGでは見られない、地に足の着いた市井の物語である。

例えばメインキャラクターの一人である天城雪子は、地方都市である八十稲羽の老舗旅館の一人娘として家業を継ぐことに疑問を感じており、都会に出ていくことを夢見ている。
大学進学を機に、地方都市から東京に移り住んだ私としては、彼女の気持ちは痛いほどよく分かる。
まだ試してもいないのに自分の価値を定められているように感じる。自分にはもっと大きな可能性があると信じて疑わないのだ。

そんな彼女が最終的に下す決断とその過程が、非常に丁寧に、そして愛情を持ってゲーム中で描かれており、私はそれを自分の身と置き換えて、小さくない感動を覚えた。

そこには現実があり、自分以外の人がいる。だから自分の人生であっても、自分の望む通りに決められるわけではない。
それは不幸なのだろうか? そうかもしれない。
しかしそれに折り合いをつけて、進んでいくことが生きるということだ。

望んだ通りではなくとも、自分の人生の着地点を見出すこと。『ペルソナ4』はそれを「妥協」ではなく、「成長」として描く。
自分の出自に悩む一条康も、芸能界からドロップアウトした久慈川りせも、周囲のイメージと自分の内面のギャップに悩む巽完二も、愛する人を失った悲しみを仕事で埋めようとする堂島遼太郎も、『ペルソナ4 ザ・ゴールデン』のキャラクターたちは皆、現実との妥協点を見出し、理想通りではないが自分なりの道を見つけて前に進んでいく。
ただ一人を除いて。

そして私たちも同じように、理想通りではないが、折り合いをつけながら自分の道を生きている。
だから「若者の可能性」や「夢は叶う」といった安直な結末につなげなかったことで、『ペルソナ4 ザ・ゴールデン』のキャラクターたちはより確かな存在として私たちの心に刻まれる。

私はキャラクター描写の素晴らしさという点において、『ペルソナ4 ザ・ゴールデン』を上回るゲームを挙げることはできない。

卓越したセンスが光る「死神コミュ」。

ペルソナ4 ザ・ゴールデン』には合計23ものコミュがあり、どのコミュのストーリーが一番良かったかというテーマは、ファンの間でしばしば議論になる。
私は個人的なベストコミュとして、黒田ひさ乃の死神コミュを挙げたい。

死神コミュの進行は、河原に座ってただ老婆の思い出話を聞くだけである。
現在進行形で何かが展開するわけではない。全て過去のこと。しかも彼女の言葉を通して語られるだけだ。
もっと言えば、彼女の話している物語が本当のことなのかも分からない。

私の知る限り、ペルソナシリーズのサイドストーリーで、主人公が全く能動的に行動せず、話を聞いているだけというのは、この『ペルソナ4 ザ・ゴールデン』の死神コミュだけである。

ゲームはインタラクションが命なので、とかくプレイヤーに何かを動かさせようとする。
もちろん、それは正しい。世界に触れ、自らが状況を動かすことができるからこそ、ゲームは映画にはない強みを獲得できるのである。
前述した通り、『ペルソナ4 ザ・ゴールデン』の魅力もサブストーリーにおけるプレイヤーの可動域の広さである。

その中にあって、この死神コミュはあえて場所も時間もそこに留まって静かに進行する。
他が忙しく動くなか、その静謐さはむしろ鮮やかな印象を残すだろう。

回想シーンを挿入しないのもいい。
年老いた者の思い出は、具体性が曖昧だからこそ美しいままでいられる。
だから見せること、明らかにすることが常に表現として正解とは限らない。

秀逸である。

カレンダーシステムが、その選択に価値を与える。

ペルソナシリーズお馴染みのカレンダーシステムについても、ぜひとも触れておきたい。
これはペルソナシリーズのストーリーの価値をより高める、本当に素晴らしいアイデアだからだ。

ゲームは主人公が八十稲羽駅に降りたつ4月11日からスタートし、町を去る3月20日までの期間を描いている。1日は朝、昼、放課後、夜といったように区切られていて、それぞれで一つのアクションしか起こせない。
つまりゲーム中の行動回数に、明確に上限があるということになる。

そのため普通にプレイすると、全てのキャラクターとのコミュレベルをマックスにすることは叶わない。
コミュだけではない。映画館に行ったり、オートバイで出かけたり、図書室で勉強したりといったアクティビティも数多く用意されているが、その全てを体験するのは事実上、不可能と言っていい。

したがってプレイヤーは判断しなければならない。
誰と仲良くなるのか、何をして過ごすのか、その優先順位を。

これはつまり、何かを得るには何かを諦めなければならないことを意味する。
この取捨選択があることで、プレイヤーの選択とそこから生まれる体験に大きな価値が生まれているのだ。

ペルソナの強化を諦めて、惣菜大学のビフテキ串を食べること、
遊びたい気持ちを抑えて、試験に備えて泣く泣く図書室で勉強すること、
バイトをサボってでも、夜の商店街で友の悩みを聞くことにこそ、意味がある。

もし何も失うことなく全てを得ることができるとしたら、そこにどんな価値があるというのか。

特にオープンワールドのゲームでよく見られる、全ての場所に行けて、全てのアイテムを手に入れることができて、全てのイベントを見ることができるというスタンスは、そうすることで結果、全ての価値を下げているように私には見える。

ペルソナ4 ザ・ゴールデン』はプレイヤーが町を去る日を決めることで、明確な時限を設定する。
こうして全てにアクセスできるわけではないという状況を作り上げることで、プレイヤーの一つ一つの行動と決断に価値を与えているのだ。

冒頭に述べた通り、冬になり、BGMが「Snowflakes」に切り替わった時、私は感傷的な気分になった。
雪道を踏みしめるザクザクという音が、ひどく物悲しく聞こえ、本気で帰りたくないと思ったのだ。

そこにはまだ話せていない友がおり、少なからずやり残したことがある。
でもそれはもう、叶わない。

その後悔が後ろ髪を引くし、今もなお、心を八十稲羽に留まらせる。
おそらくゲームでしか味わえないであろうこの感傷が、私には心地よかった。

一歩ずつ進む時間が物語を生む。

またペルソナシリーズのカレンダーシステムは、オープンワールドをはじめとした、他のRPGでは難しい時間表現を実現している。

多くのオープンワールドゲームでは昼夜がシームレスに移行する。
これは私たちの現実社会での時間の流れを忠実に表現できる一方で、例えば「⚪︎月△日に」や「⚪︎日後に」という日付を設定したミッションを設けることを難しくしている。
そもそも日付の概念がない場合が多い。

時間を意識したミッションはほぼ、「⚪︎分以内に救出しろ」などという、現実時間を設定した極めて短時間な制約を設けたものに限られる。当代最高のリアリティと没入感を実現していると言われる『レッドデッドリデンプション2』ですら、そうなのだ。

しかしこれでは、見かけ上は日が巡っているように見えても、ゲーム内の時は事実上、停止したままと言えるのではないか。

『サイバーパンク2077』の主人公Vは、極めて切迫した状況にあるはずだが、のんびりと傭兵稼業に勤しんでお金を稼ぎ、あろうことかナイトシティにいくつも部屋を所有したりする。
ナイトシティに散りばめられたサイドミッションやアクティビティをプレイヤーに体験してもらうために、日付の概念を持たせず時間を止める。

確かにゲーム内の時の流れを止めることで、プレイヤーの裁量でゲームを進められる。これを「自由度」と呼ぶのであればそれは達成されている。
だとしても、犠牲にしているものが大きすぎやしないだろうか。

一方で『ペルソナ』のカレンダーシステムでは、まるでターン制タクティクカルゲームのように、日付と時間が一つずつ進行していく。

そのためプレイヤーは、放課後はジュネスに行こう、
明日は、雨が降らなければ学童保育のアルバイトに行こう、
期末試験まであと一週間しかない、といったスケジュールを意識してゲーム中の行動計画を立てることになる。

これは我々の実際の生活実感に近い。
オープンワールドのストロングポイントは「高い没入感」であるとしばしば言われるが、こと時間の表現という点に限れば、実は『ペルソナ』の方に分があるように思える。

ペルソナ』シリーズの根幹を成すのは、ペルソナ合体でもコミュレベルでもなく、おそらくこのカレンダーシステムだ。月日の流れが存在することで、過ぎ去って戻ることのない、彼らのある特別な一年がゲームのストーリーとして表現できる。

もしオープンワールドのゲームのように、時を止め、好きなだけ時間を使うことができていたとしら、それは実に味気ない物語になっていたことだろう。

私はついにJRPGを発見した。

苦手なものがあることは素晴らしい。
嫌いなもの、理解できないもの、好みではないものがあることは、本当に素晴らしいことだ。

なぜならそこに、新しい発見が隠れている可能性が高いから。

かつて日本映画が苦手だった22歳の私は、池袋のACTセイゲイシアターで、溝口健二の『西鶴一代女』を観て衝撃とともに日本映画を「発見」した。

同じように『ペルソナ4 ザ・ゴールデン』で、私はついにJRPGを発見したのだ。
オープンワールドこそがゲームの唯一の未来だと信じていた私は、歓喜とともにその考えを改めた。
自分の視界が変わるという体験は、いつだって素晴らしい。

世界にはまだまだ素晴らしい作品や体験が待ち受けていることを、私は八十稲羽で学んだ。

だから2008年アトラス製作の『ペルソナ4』。
私にとって永遠のマイベストJRPGである。


ペルソナ4 ザ・ゴールデン

steam : https://store.steampowered.com/app/1113000/4/
Switch : https://store-jp.nintendo.com/item/software/D70010000041597
PlayStation : https://store.playstation.com/ja-jp/product/JP0005-CUSA29367_00-DAYLIGHT00000000
Xbox : https://www.xbox.com/ja-JP/games/store/4/9pk4b09smn5c

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