2024年3月18日

Her Story

シンプルが故に生まれた奇跡の物語。
そして、霧の向こうで揺蕩うビデオゲームの可能性。

サム・バーロウによって製作された『Her Story』は、斬新なメカニクスで高い評価を得た2015年のゲームである。プレイヤーは短い映像クリップをひたすら見続けるだけという、思い切ったゲームプレイが唯一無二のストーリーテリングを生み出している。

ゲームは3時間ほどで終了するが、そこには他にはないゲーム体験が待っている。
未プレイの方はぜひ、プレイしてみてほしい。セール中であれば数百円で購入することができる。

彼女の人生をたどる、三時間の旅。

ゲームをスタートすると、90年代を思わせるコンピュータのデスクトップが現れる。そこには映像データベースがあり、検索窓にキーワードを打ち込むと、それに該当する映像クリップが検出される。

映像に映っているのは一人の女性。再生すると、彼女は訥々と語り始める。
どうやら彼女の夫が行方不明になったらしい。

最初のクリップを再生すれば、プレイヤーはすぐに気が付くだろう。

この映像データベースは警察のものであり、映像は彼女、ハナ・スミスの事情聴取の記録である。
夫のサイモンが姿を消した日のことから始まり、サイモンとの出会い、結婚のことなどについて話すハナの姿が納められている。

プレイヤーは映像を見て、ハナの証言の中から気になるワード(殺人、愛、あるいはグラスゴーなど)を見つけ、そのワードで検索して、検索結果に表示された映像を見る。
そしてその映像から気になるワードを見つけて、また検索にかける。

この繰り返しである。
プレイヤーは一本2、3分ほどの映像を見ながら、ジグソーパズルを組み立てるように、少しずつ事件の真相を理解していくことになる。

ほとんどのプレイヤーは3時間ほどで、真相にたどり着くだろう。

白紙も模様のうちなれば 心にてふさぐべし

プレイヤーが見る映像は徹頭徹尾、ハナ・スミスがカメラに向かって喋っている映像のみである。それ以外の映像は一切、ない。

したがって、サイモンが最後に目撃された現場を直接見ることもないし、二人の住んでいた家が具体的にどのような場所なのか知る由もない。
このゲームに出てくる事象は全て、彼女の語る言葉によってのみ構成されていることになる。

私が感心したのは、最後までビバ・セイファート演じるハナ・スミスの話す言葉だけでストーリーを押し切ったこと。そして、それによって想像力に訴える演出を実現したことだ。

あえて描かないことで観る者の想像力を刺激する手法は、絵画をはじめ、デザインや映像では、きわめて強力な表現方法として知られている。

映画ではエルンスト・ルビッチやビリー・ワイルダーが、重要な出来事をあえてスクリーンの外側に置くことで、観客に強く印象づける手法を発達させていった。

絵画では、いわゆる「余白の美」と呼ばれるものがそれにあたるだろう。
江戸時代の絵師、土佐光起は、次のような言葉を遺した。

「白紙も模様のうちなれば 心にてふさぐべし」

白紙(余白)は観る者の想像力をかきたてる作品の一部である、という意味になるだろう。

ゲームはインタラクションが核となるので、どうしても表現が直接的になりがちだ。だが、『Fallout』が得意とする「環境ストーリーテリング」や、ソウルシリーズなどに見られる「フレーバーテキスト(アイテムなどの説明文)」などは、プレイヤーの想像力を刺激する手法として知られている。

サム・バーロウが意図したかどうかは不明だが、『Her Story』はそこに新たな手札を加えたと言っていいだろう。

普通の推理ゲームに備わっているインタラクションが、『Her Story』にはない。事件現場での証拠探しや、容疑者への尋問はなく、私たちはただハナの発する言葉から、状況を想像するのみだ。

オリオン座の卒業白書、窓の向こうから手を振る私、誕生日のパーティ帽、ボブ・ディラン行きのタクシー、人形の家、屋根裏のダイアナ・・・。

それらは不思議と、プレイヤーたちの心に強く刻まれる。
一度もゲーム画面に映っていないにも関わらず。

魔法の湧き出す泉は、スクリーンやキャンバス、モニタの中にだけあるわけではない。それを見ている観客の心の中でこそ、水を湛えているのかもしれない。

インタラクションを増やすことだけが、ゲームの発展の行先ではないことを、『Her Story』は示している。


拝啓、セルゲイ・エイゼンシュテイン。

Her Story』では、プレイヤーが任意のワードで検索して、結果に表示されたフッテージを再生していく。当然、フッテージを見る順番はプレイヤーごとにバラバラになる。

しかし最初はバラバラで無秩序だったフッテージが、ハナの証言を手掛かりとしてつながっていき、やがて一つのストーリーを紡ぎだす。

かつては映画マニアだった私は、『Her Story』のメカニクスが生み出す、このストーリーテリングに驚愕した。

私たちは散々、聞かされてきたのだ。それこそ子守唄のように。
映画は編集が命である、と。

どのショットをどの順番で繋げるかによって、観客の受け止めるストーリーや印象は大きく変わってくる。
セルゲイ・エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』や、D・W・グリフィスの『イントレランス』から始まる映画編集の理論と技術は、映像コンテンツ制作の土台として現在に引き継がれるものだ。
北野武が映画の編集を因数分解に例えたように、編集こそは制作者の意図そのものと言ってもいい。

しかし、『Her Story』はそれを放棄しているように見える。
でたらめに並べられたフッテージは、作者の意図を離れて、観賞者であるプレイヤーの頭の中で並べ替えられる。
それで、まったく問題なく素晴らしいストーリーが出来上がるのだ。

正直に言おう。私の言っていることは、かなり大袈裟で正確ではない。

映像編集とはA、B、C、Dといった異なるショットを任意につなげることによって、映像全体に意味を与える作業だ。
では『Her Story』は、A、B、C、Dをランダムに提示して、それをプレイヤーが好き勝手に並べ替えているのだろうか?

そうではない。
Her Story』がプレイヤーに提示しているのは、Aa、Ab、Ac、Adといった、ある程度同じ意味合いでグループ分けできるショット群だ。ABのような、大きく意味合いの違うショットは混在していない。だから順番が前後しても、プレイヤーはハナの証言を手掛かりに脳内で編集できるのだ。
これは登場人物がハナ・スミスのみで、場所も取調室だけに限定されていたという点が大きい。

そしてサム・バーロウは、次の作品となる『Telling Lies』では、AaBaといった関係性の遠いショットを混在させてしまって、見事にストーリーテリングに失敗している。

この魔法のようなストーリーテリングが力を発揮するには、周到に用意した一定の環境が必要だということだ。

だから、『Her Story』のストーリーテリングが、映像編集の理論を過去のものにするというわけではないし、まったくランダムにショットを並べればいいというわけでもない。

しかしそれでもこの作品は、ストーリーの断片をプレイヤー自身が任意につなぎ合わせるという、映画では絶対に不可能なストーリーテリングを実現し、その威力を見せつけた。
映画的な手法だけに頼らずとも、ゲームは独自のやり方で自立していけるいうことを、『Her Story』は示してくれたのだ。

映画は演出面でのイノベーションは、もうそれほど多くはないだろうが、ゲームには多くの可能性がある。観客(プレイヤー)を作品の内側に取り込むことができるのは、やはり強力だ。
そして、それはゲームでしかできないことなのだ。

拝啓、我らが父、セルゲイ・エイゼンシュテイン。
私たちはいま、自分たちの足で歩いています。


エウレカ! その推理は誰のもの?

Her Story』が多くのプレイヤーに支持されているのは、メカニクスや演出だけではない。ここはやはりミステリー「ゲーム」としての完成度に言及しなければならない。

それは「驚愕の真相」といったストーリーそのものではない。『Her Story』が素晴らしいのは、プレイヤーがハナの証言と映像のみで、自力で真相にたどり着けるよう、劇中の要素を巧みに整理したことにある。

ミステリーゲームの問題点は以前から、かなりはっきりと言及されてきていた。

多くのミステリーゲームはプレイ中に、選択肢をプレイヤーに提示する。プレイヤーはその選択肢から正解と思われる答えを選ぶのだ。
このミニクイズに繰り返し正解し続けることによって、最終的には真相にたどり着く。

しかしこれは本当にプレイヤーが事件を解決したと言えるのだろうか?

このミステリーゲームの課題については、毎度おなじみのGame Maker TollKitが、2017の動画で見事にまとめているので、お時間があればぜひご覧いただきたい。
大丈夫、しっかりとした日本語字幕が付いている。

実際にプレイした方ならお分かりだろうが、『Her Story』は、ハナの証言と映像を注意深く観察していけば、選択肢を与えられなくとも真相にたどり着くことができる。

具体的に言及するのはネタバレとなるためできないが、それを発見した時はまさに「エウレカ(ひらめいた)!」と叫びたくなる瞬間だ。そして自分の力で真相を突き止めたという達成感が全身を駆けめぐる。

Her Story』はどのようにして、それを実現したのだろうか?

このゲームからプレイヤーに提供される情報は、ハナの発する言葉と、殺風景な取調室の映像だけだ。極めてシンプルな手段に限定されている。
これが結果的に、ゲームとプレイヤー双方の情報のコントロールを容易にし、真相究明のために必要な情報の取捨選択を容易にした。
そのためプレイヤーは導線がなくても、迷うことなく真相にたどり着けるのである。

いや、これだけでは意味が分からないだろう。

例えばミステリー小説に次のような一文があったとする。

被害者はモーテルの一室で発見された。
サイドテーブルには彼のものと思われる腕時計が残されていた。

この一文で得られる情報は文面そのままであり、それ以上でもそれ以下でもない。
つまり読者に伝えるべき情報が、ほぼ完ぺきにコントロールできている。

しかし、これが映画やゲームなどのビジュアルが伴うメディアで表現されると、途端に情報のコントロールが効かなくなるのだ。

現場が映し出されることで、観客(プレイヤー)が、例えば以下のような疑問を抱くことが想定される。

妙だな? この被害者にしては安宿すぎやしないか? 
妙だな? この服装にこの腕時計はまったく不釣り合いだ。

つまりビジュアル化されることで、作者の意図とは関係のない情報が、否応なしに付随してきてしまうのだ。

ビジュアルの印象は、見る者の主観と感性に依存してしまう。
だから観客(プレイヤー)が重要に違いないと思った情報が、まったく意味がなかったり、その逆であったりといったことが容易に起こりうる。
そして観客(プレイヤー)からすればアンフェアだと感じてしまうだろう。

これを完璧にコントロールすることは、ほぼ不可能だ。

一方で『Her Story』は、情報を提示する手段が、ハナの言葉と取り調べ映像しかない。
取調室はとても殺風景なので、ハナの仕草や、ちょっとした変化に気が付きやすい。

もし『Her Story』が、ハナとサイモンの暮らしていた家や、二人の出会ったガラス工房などを映像で映していたら、途端に情報の洪水を引き起こし、プレイヤーを混乱させていただろう。
そうなると何かしらの導線が必要になり、たとえ真相にたどり着いたとしても、プレイヤーはそれが自分の力であったとは自覚しにくかったはずだ。

Her Story』はそのシンプルな構造故に情報のコントロールが容易になり、プレイヤーに本物の推理体験を提供することができたのだ。


最後に『Her Story』の欠点について述べておきたい。

フッテージの断片をつなぎ合わせていくことでストーリーが見えてくるため、最序盤においてはゲームの面白さを見出しにくいだろう。

そもそも事件は過去のものである。ゲームの目的はあくまで、主人公(プレイヤー)がこの事件の真相を知ることであり、解決することではない。
だいたいプレイヤーはフッテージを検索して見ることしかできないのだ。

だからゲームを続ける目的を見出せず、投げ出してしまう人が出てくることは想像できる。

おそらく最初の「エウレカ!」であり、ゲームに引き込まれるきっかけとなるのは、プレイヤー自身が誰で、何を目的に映像を見ているのかを理解した時である。

これを境に、画面の中のハナ・スミスへの関心がグッと高まり、一気に物語に引き込まれるはずだ。夢中になって検索を続け、やがて真相を知った時、あなたは一人の女性の人生へと思いを馳せているだろう。

霧がすべて晴れるわけではない。
しかしあなたの気持ちは晴れやかだ。肌にまとわりつくその霧さえもきっと、ひんやりと心地よい。

Her Story』は、シンプルさが生み出した小さな宝石のような作品だ。
きっとあなたの物語に、忘れがたい小節を付け加えてくれるだろう。

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